カナダから日本へ移住、日本の伝統織物の世界へ
古き良き里山の原風景が残る、相模原市緑区(旧藤野町)佐野川地域。山の急斜面に作られた茶畑と豊かな自然に覆われ、山あいを縫うように昔ながらの古民家や土蔵が建ち並ぶ、県境のまちだ。
この佐野川の鎌沢地区にある、築約150年の古民家に暮らしているのが、藍染・織物職人のカナダ人、ブライアン・ホワイトヘッドさんだ。この地に移り住んで、20年以上が経つ。
「日本に興味があったというよりは、とにかくどこか外国に住みたかった」
20代の頃、カナダを飛び出して、アジアやヨーロッパ各国を旅して回った。日本に来日したのは1989年。それから4年後の1993年、インドネシアへ旅立つ直前に、人づてに現在の家が借りられることになって、日本に残ることにした。
「その時は、自分が人生で何をするのか、まったく考えていなかった。ただ若くて、外国に住みたかっただけ。でも、子どもの頃からものづくりは好きだった。何をやろうか考えている時に、藤野で草木染めや養蚕、織物のことを知った」
ブライアンさんは、原料づくりから織りまで、すべてを自分の手で行なっている。桑を育て、蛾を交配し、卵を作って繭にする。繭から糸をとって、機織り機でひとつひとつ織り上げる。畑で育てた藍草で糸や布を染め上げる。昔の日本では当たり前に行なわれていた伝統的なスタイルだが、今ではここまでこなす職人や作家はほとんどいない。
「1から10まで、すべてを自分の手で作り上げられるところに魅力を感じた。藍染めを始めたのは自分の趣味のためで、これが仕事になるとは最初は全然思ってなかったよ」
廃れてしまった日本のものづくりスタイルを、カナダからきたブライアンさんが体現しているというのも、不思議な話だ。少し離れた場所にいるからこそ、見えてくる良さというものも、あるのかもしれない。
外国人向けのワークショップを開催
当初は、こんなに長く日本にいることになるとは思っていなかったというブライアンさん。
「全然知らない国で、古いボロボロの家を少しずつ直しながら住む。このまちにおじさんから若い人までいろいろな知り合いができる。食べ物も違うし、考え方も違う。文化も違う。面白いじゃない? 僕はアマチュアの文化人類学者なんだよ。この社会がどんな社会なのか、25年もフィールドワークやりながら日本の研究してるの。でも情報が集まりすぎてなかなか博士課程が終わらないから、いつまでも帰れないで、日本にいるんだ(笑)」
ブライアンさんは「Japanese Textile Workshop」という英文のブログで、日々の暮らしや日本の伝統織物について情報発信を続けている。ブライアンさんの住む古民家で、染色や織物、そして日本の里山の暮らしを体験できるワークショップは、ブログを通じて人気となっている。イタリア、フランス、ブラジル、ベネズエラ、ドバイ、東南アジアなど、世界中からブライアンさんの元にやってくる人はあとを断たず、忙しい日々を送っている。
「日本に興味がある人はすごく多い。でも正直、海外の人が出かけたいと思えるところがあまりないんだ。だから私のワークショップに興味をもってくれる」
確かに、伝統的な日本の暮らしを垣間みることができる場所というのは、今ではほとんどないのかもしれない。里山の暮らしや織物の文化を間近に体験できるブライアンさんのワークショップは、日本文化に興味を持つ海外の方々にとって、とても魅力的なのだ。ものづくりはもちろんだが、そのものづくりの文化を人々に伝えていくことも、今のブライアンさんの生業になっている。
「これからも同じことをやっていくだけ。日本の文化を教えて、それから自分のいい作品を作りたい」
日本の職人より職人らしい。日本の伝統文化を伝えるブライアンさんの行動や言葉のひとつひとつが、私たち日本人に、日本文化のすばらしさを教えてくれている。